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【2年連続日本1位ウェブ解析士直伝】マーケティングの原点を日本の長い歴史から読み解く。その名も「マーケティング0」

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株式会社クリエイターズネクストの窪田です。今回はマーケティングの奥深さ、楽しさを再定義していただくために、「マーケティング0」というテーマでお話させていただきます。
私は3万8000名のウェブ解析士の中でベストオブベストに2年連続で選出されました。そのため、本記事では、ウェブ解析の知見からマーケティングの原点を説明していきます。

「マーケティング0」を紐解くエピソード

本題へ入る前に、1つエピソードを紹介させていただきます。
”あるところに米国生まれの日本人がいました。少年時代に彼は米国で「日本はどんな国なんだ?ニンジャタートルとかがいるのかい?侍はどうなんだ?」と聞かれる。
しかし、彼は日本人だがアメリカにしか住んだことがないために日本を知らなかった。苦笑いして、「いや少なくとも父も母もちょんまげはしていない」と返すのがやっとだった。
彼は中学校から日本にやってくる。そして、鎌倉で過ごし、日本に触れる。しかし、日本では今度は帰国子女扱いだった。どこか色眼鏡で見られ続ける人生。居場所がどこにもないような閉塞感と窮屈な感じがあった。
しかし、大人になり、彼はウェブ解析士の資格を得て、日本について捉え直した。そんなとき、あるジャズバーに入ると横にアメリカ人が座った。ジャズの演奏が素晴らしく、いつの間にか、彼はアメリカ人と一緒にハイボールを飲んでいた。ふと、アメリカ人の大男がこんなこと聞く。
「なあ、日本人っていうのは数学は得意だけど、クリエイティブなことが苦手なんじゃないのか?」
彼は、長年の思いを言葉に込めてこう言った。
「日本人は確かに数学が得意だ。だが、クリエイティブの力もある。古今和歌集や万葉集を見れば、日本人が風や水、空、花からどれだけのインスピレーションを受け、創造的な詩を書いてきたかがわかる。私たち日本人は自然からも多くのことを学び感じ取る力をクリエイティブに変えることができるんだ」
喧嘩を覚悟していた彼はアメリカ人を見つめた。アメリカ人はこう言った。
「それは素晴らしい!ところで、僕の彼女は里子っていうんだが、これはどういう意味なんだい?」
「スモールカントリーガールっていう意味だ」
「へえ・・・!ファンキーだな。」
彼はハイボールをグビッと飲み、ジャズの余韻を楽しんだ。さて、”彼”の名前・・・は?“
このエピソードを読んであなたはどう感じられたでしょうか?
本記事を読み終えた後に、もう一度このエピソードを読めば、私がお伝えしたい「マーケティング0」の本質が見えてくると思います。

1950年から始まるフィリップ・コトラーが考える「マーケティング」

最初に、そもそもマーケティングとは一体何なのでしょうか。ここで定義を確認していきましょう。
フィリップ・コトラーはマーケティングというものをこういう風に捉えています。
“マーケティングは1950年から始まった。マーケティングの歴史はマーケティング1.0~4.0までの、その4段階にある。”
そして、それぞれの段階は、歴史的なイベントと連動していることを指し示しました。1.0というのは第二次産業革命です。その後、オイルショック、インターネット、ソーシャルメディアという形で1.0、2.0、3.0、4.0に繋がっていったというわけです。
しかし、このマーケティングの歴史には、どこか違和感を抱きませんでしょうか?私はすごく感じました。では、その違和感の正体とは何だったのでしょうか。

日本には「マーケティング0」がある。Unlock Japan!

実は日本では「マーケティング0」という歴史が存在します。それは一体どういうことなのか。
マーケティングのそもそもの成り立ちは1683年に越後屋(三越)が60万枚のチラシを配ったのが始まりなのではないかという説があります。
また、突然の雨に備えてお客様に「番傘」と言うものを作り、その傘の中に三越の「越後屋のロゴ」を入れました。これによって「江戸中を 越後屋にして 虹がふき」という歌が詠まれて、当時江戸中で話題となりました。
「マーケティング0」という言葉は私が作った造語ですが、マーケティングの起源とは、この越後屋であるということをピーター・ドラッカーが自身の本の中で触れているのです。
では、こうした日本人のマーケティングという感性はどのように花開いたのでしょうか。そこには敷き詰められた感性ではなく「余白」にあったのではないか、と私は考えています。

日本における「余白」の美意識

江戸時代の土佐派を代表する絵師である土佐光起は、このような言葉を遺しています。
“「白紙ももようのうちなれば、心にてふさぐべし」/土佐光起”
つまり、「白紙(余白)とは模様であって、意味があるものなんだ」ということ。これは安土桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯の松林図にも言うことができ、日本人には、もともと余白の中に何かを見出す力が備わっているのです。

西洋と日本における情報の捉え方の違い

では、西洋と日本において、そもそも情報というのはどのように捉えられてきたのでしょうか。
「情報論」を書いたアメリカのグレゴリー・ベイトソンは、情報の定義についてこのように述べています。
”Any difference that makes a difference(差異にこそ情報がある)”
一方、日本の立場はこれとは異なり、「間・空・余白」のようなものも情報に含めているとされています。
つまり、「何もないところに、何もかもがあるじゃないか」、これこそが日本のそもそもの感性であり、マーケティング0における本質的な視点だということができます。

解析可能なデータには必ず欠損があり、壮大な余白が存在する

そもそも私たちはマーケティングをする時にあらゆるデータに立ち向かいます。そのデータは膨大で、今はビッグデータと呼ばれたりします。
しかし、そのビッグデータは完璧なものかと問われれば、そうではなく、あらゆるデータには必ず欠損があります。

Google Analytics も完全ではない

例えば、一見、全てのデータがあるように思える Google Analyticsを例にとって話してみましょう 。
Google Analytics にはあらゆる情報があるように見えます。しかし、解析可能な範囲というのは実はごく一部であり、人生の出来事や感情というものは、もっと大きなデータベースが存在しています。
ページに来訪したら数字がカウントできて、何ページ見たらどのくらいの時間滞在していたか、というありとあらゆるデータはそこにあります。
しかし、そのページに訪れる際の感情はどこだったか、その時なぜこのページに参加しないといけなかったか、アクセスしないといけなかったのか。こうした体験に関してはデータだけではわかりません。
つまり、PCを開いていた時、スマートフォンを開いている時、横に誰がいてどんな会話の中で、そのページにアクセスしていたかはわからないのです。言い換えれば、私たちが手にすることができるデータはいつだって不完全であり、壮大な余白が存在するわけです。

PCで映し出される美しいグラフは連続値なのか?

PC の中で映し出される美しいグラフというものがあります。常に連続しているような、なめらかなグラフ。これは連続値なのでしょうか?実はこれも違うのです。
例えば、「10÷30=3.33333333」と表現することができますが、どこかで繰り上げ、繰り下げなり、四捨五入なりをしないといけません。これをPCが用語で「丸め誤差」と呼びますが、実際のPCでは桁数を決めてどこかで打ち切るようにしています。
つまり、ありとあらゆる数字は実は連続値ではなく離散値(離れている数字)だということができるわけです。一見、欠損が一切ないように見えるグラフにすら、永遠の余白というものが存在しているわけです。

ウェブ解析士は常に「正解なき難問」に晒される

このようにウェブ解析士は常に「正解なき難問」に晒されている職業だと言えます。既存のおぼろげなデータに頼りながら、マクロとミクロレポートの課題に取り組んでいかなければいけません。
企業はどこに向かうべきか、どうすればユーザーはハッピーになるか、それぞれ「正解なき難問」です。しかし、これに立ち向かうための手がかりや武器はおぼろげであり、欠損が必ず存在しているのです。

寄物陳思:物に寄せて思いを陳べる

こうした「正解なき難問」に晒されている時の姿勢として、日本では「寄物陳思(きぶつちんし):物に寄せて思いを陳べる(のべる)」という表現があります。
例えば、お花見をする時に、現在では実際に桜を見ながら楽しむことが普通ですが、もともとは、桜の花を見て、枝を少し折って、その一枝だけを花瓶に挿して愛でるのがお花見の在り方でした。
また、お月様も、月をそのまま見るのではなく水盤に投影して月を見て楽しむといった「物に寄せて思いを陳べる」を、日本人は自然と行っていたのです。

イサム・ノグチの名言「完璧なものは面白みに欠ける」

「正解なき難問」と言うと、一見大変なことのように思いますが、日本人の偉人であるイサム・ノグチはこうも言っています。
“完璧なものは面白みに欠ける。”
私たちは不完全なデータを常に取り扱っています。しかし、不完全なデータに立ち向かうことは、果たしてつまらないことでしょうか?いえ、そうではありません。「白紙をふさぐのは最後は心」という言葉もありますが、不完全なものに立ち向かう時こそ、むしろ面白いと言えるのです。

不完全なデータから「胸中の山水」を見つけよ

不完全なデータを取り扱うのは、イサム・ノグチが言うようにとても面白いことです。そうであるならば、その面白さを存分に表現するためには、「想像力」が大切です。
言い換えれば、不完全なデータから胸中の山水を見つける時、心の中に水しぶきが生まれます。この水しぶきが想像力の羽であると言うことなのです。

N数へのおもてなしができるのがウェブ解析士の魅力

では、私たちウェブ解析士は、この「正解なき難問」に対して、日々どのような姿勢でマーケティングと向き合っているのでしょうか。
私は、ウェブ解析士は欠損しているデータを元にN数へのおもてなしができる職業だと考えています。
少年や少女だった時、「パイロットになりたい」「お医者さんになりたい」「宇宙飛行士になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」など、さまざまな夢があった人も多かったのではないでしょうか。
ウェブ解析士は、その全ての職種を体験し、その良さを深く理解し、ユーザーに分かりやすく伝えることができます。つまり、あなたが小さな頃に抱いた一切の夢をあきらめる必要がない職業、それがウェブ解析士であると言えます。
ウェブ解析士は、欠損なるおぼろげなデータを頼りにして、企業の人に成り代わってコミュニケーションの戦略を考える。そして、そのコミュニケーションの戦略を考えた上で、実際にN数へのおもてなしをしていきながら、多くの人の「人生」を変えることができる職業です。

ペルソナ思考と日本文学

職業の仮面を得て、ユーザーに語りかける言葉や、コミュニケーションを考えていく。この仮面をかぶってユーザーのことを考えることをペルソナ思考と言います。実は日本文学の中にも、このペルソナ思考に近しいものが存在していました。
例えば、平安時代の歌人の紀貫之が書いた土佐日記、明治時代を生きた日本の文豪・夏目漱石の代表作である「吾輩は猫である」は、全てペルソナ思考によって文学まで昇華することができた知恵だと言うことができます。
このように、日本人にはペルソナ思考や未知の物を考える特性に優れているところがあるのです。

日本は「妄想ドリブン」の国

紀貫之や夏目漱石に限らず、日本人は未来的なものですら、妄想によって実現より先に、イメージを具現化できる力がある。これについて、シン・ニホンを書いた安宅和人(あたか かずと)さんは「妄想ドリブン」という言葉を用いて表現しています。
例えば、私たちは「攻殻機動隊」「鉄腕アトム」「ドラえもん」といったアニメが指し示している未来像を自然と受け取っています。「四次元ポケット」「どこでもドア」「タイムマシーン」それぞれについて知らない人がいないように、小さな頃から作品を通じて自然と触れてきました。
これについて安宅さんは、「妄想ドリブンの情報教育だ」と表現したのです。つまり、現在はAIの時代だと当たり前のように言われていますが、日本ではAIの時代の行方を妄想によって先取りしていたと考えることができるわけです。意識している、していないにかかわらず、世界でもこれほど妄想ドリブンな情報教育を行ってきた国は珍しいと言えるでしょう。

ウェブ解析士を目指す人のためのクイズ

ウェブ解析士は妄想力使って未来を切り開く力を持っています。では、そのウェブ解析士をこれから目指す人のために、ここでクイズを2つ紹介しましょう。

クイズ①2つのグラフから何がわかる?

上記は企業Aと企業Bの一週間のPV数の推移を示したグラフです。この2つのグラフにはどんな違いがあるでしょうか。
企業Aは土曜日・日曜日にアクセスが下がっていることがわかります。一方、企業Bは土曜日・日曜日にアクセスが上がっています。私たちウェブ解析士は、この2つのグラフを見た時に、例えばこのような考察をします。
  • 企業Aのように土日にアクセスが多くなる波形では、B2Bのサイトであることが多い
  • 企業Bのように土日でもアクセスが伸びる波形では、B2Cのサイトであることが多い
言い換えると、企業担当者向けのサイトは、仕事のある平日にサイトに訪問するだろう。一方で消費者向けのサイトは、仕事が休みの人が多い土日にアクセスが伸びるはずだ。
このように、おぼろげなデータを与えられた時に、何かを想像してこうなんじゃないかと言う仮説を考えることがウェブ解析では非常に重要となります。

クイズ②中古鉛筆をどうやって売る?

上記の画像は、既に使われて短くなった中古鉛筆です。あなたはこの鉛筆をどうやって売りますか?
このクイズの回答は、男はつらいよの「拝啓車寅次郎様」の事例で見ていきましょう。寅さんは中古鉛筆をこのように売りました。
“「(親戚縁者を見回して)オレはこの鉛筆を見ると、おふくろのことを思い出すんだ。オレは不器用だったから、満足に鉛筆ひとつ削れなかった。すると夜、おふくろが鉛筆を削ってくれたんだ。火鉢の前できちんと正座して削ってくれるんだけど、削りカスが火の中に入るとプーンといい香りがしてな。きれいに削ってくれた鉛筆で勉強せず落書きばっかりしていた。でも削った鉛筆が短くなると、その分だけ頭が良くなった気がしたもんだ。
(甥に向き直り)お客さん、ボールペンってものは便利でいいでしょ。だけど味わいってもんがない。その点、鉛筆は握り心地が一番。木の温かさ、六角形が指の間にきちんと収まる。ちょっとそこに何でもいいから書いてごらん。
(甥が渡された鉛筆で試し書きをして、書き心地に納得している)  どう、デパートでお願いすると1本60円はする品物だよ。  だけど、ちょっと削ってあるから30円だな。
 (甥が試し書きの手を止めて、顔を上げる)  いいよ、いいよ、タダでくれてやったつもりで20円!  (え、いいの?と言う顔の甥)  すぐ出せ。さっさと出せ」“
~男はつらいよ「拝啓車寅次郎様より」~フーテンの寅に学ぶたった2分で売り切るセールス法則
この時、寅さんはなぜ中古鉛筆を売ることができたのでしょうか。普通に売ろうとすれば、「この鉛筆書けますよ」「物を書くことは大事ですよ」といって売ろうとすると思いますが、寅さんの売り方にある特徴があったのです。
その特徴を一言で言うと「人情」です。日本には「不完全なデータ」を、人を喜ばせるために使ってきた「人情の歴史」があったのです。

不完全なデータと富山の薬売り

この人情について、もう少し深く知るために富山の薬売りの事例で説明していきましょう。
富山の薬売りは先用後利というビジネスモデルで、先に薬箱を置いてもらって、使用した分だけ料金をもらい、新しい薬を不足の分だけ補充する仕組みです。
薬を売るセールスマンである売薬は、懸場帳(かけばちょう)という、今でいう仕訳帳を付けて、いわゆる顧客のデータベース化をしていましたが、この懸場帳は単なる売買記録や商品在庫を記録するものではなかったのです。
基本的にデータベースは最初から設計するため、自由に付け加えたり、規則に従っていない項目を追加したりするのは難しいもの。しかし、懸場帳は「今日のおばあちゃんは腰が痛い」「電球を取り替えるのが大変らしい」「廊下がちょっとキシキシしているようだ」「お孫さんと最近会っていなくて寂しがっている」といった顧客の家族構成や健康状況などの付加情報も記録されていました。
では、この懸場帳というデータベースがあることで、何が生まれたのか。それは「情」です。「お孫さんと会ってないんだから、お孫さんとどうにか会わせられないだろうか」といった、ただ薬を売って利益を得るという目的でなく、優しい発想が生まれるわけです。
人生と言うのは欠損だらけなので、相手のことは一切わかりません。その前提の中でどういったことができるのかを考えていくと、人情的な解決策が存在するということが言えるのです。

一流のマーケターは「人情の体験」を再現する

一流のマーケターは、この「人情の体験」を再現します。しかし、多くのマーケターは「ドラクエの村人A」を作ってしまっているのです。つまり、サイトに訪れてどのページを見ても同じことしか言っていない。そこに人情は存在しません。
とくに現在は同じ機能を求めている人は非常に少ないですから、相手の関心ごとを的確に捉える。機能を売るのではなく「体験」を売る。相手の気持ちを無視するのではなくて寄り添う。そして、杓子定規に捉えて処理をするのではなくて臨機応変に行動する。
こうした「ウェブサイトでの体験」「デジタルでの体験」「アプリでの体験」を捉え直すことができる人というのがこれから活躍するマーケターだと思います。

まとめ

今の技術は再現することには長けています。でも人情が弱い。人情の発想で考えた後で、再現する方法を何度も何度も繰り返すことをやっていきましょう。
“あなたは何で余白を埋めるのか。”
これこそが「マーケティング0」の考え方です。あなたのマーケティングを今日再起動しましょう。
◎本記事の内容はYouTubeチャンネル「窪田望のアンテナ」でもご覧頂けます!
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